まだ英語を勉強する意味はあるのか - 人工知能は翻訳コンニャクになるか


荘加 大祐(Daisuke Shoka)
英語マンと翻訳の違い

ひょっとして、もう英語の勉強って時代遅れなのか?

ふと、そんなことを思ったわけです。

いや、本当は「英語の勉強にオススメのゲーム」ってテーマで、ひたすら『逆転裁判』を紹介しようと思ったんですよ。もう本当に神ゲーですからね。

しかし、ここで「Objection!」が入りました。時代の流れ的に、「どうやって英語を勉強するか?」以前に、「そもそも、英語を勉強する意味はあるのか?」を考えておかないと、根本的な時間の使い方を間違えるリスクがあると思ったんですよね。

なんでそんな話になっちゃうかというと、人工知能が翻訳コンニャクになるかもしれないからです。とりあえずこれを見てください。

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(出典:ついに日本語で翻訳コンニャクが実現!? Skype と人工知能の組み合わせで – マイクロソフト みんなの AI ブログ

これを書いてるの、「Microsoft AI Japan Team」ですからね。そこら辺のメディアが煽っているのとはワケが違うわけです。あのMicrosoftがここまで踏み込んだ表現をするということは、翻訳コンニャクの実用化にむけて相当な自信があると考えてよさそうです。

実際、現時点でも人工知能による機械翻訳は相当なレベルまできています。論より証拠で、この動画を見てください。

みなさん、どう思ったでしょうか。僕は「シャレになってない」と思いました。これはもうダメかもわからんね。

あとは、こんな記事も出てますね。

「頭ずきずき」も瞬時に通訳 AI使いTOEIC800点

このように、すでに自動翻訳機が実用化されるレベルになっています。TOEIC800点ってことは、ざっくりTOEIC受験者の上位10%のレベルです(参考↓)。日本人全体で考えると、上位3%には入っていると考えてよさそうですね。

公開テスト 平均スコア・スコア分布 一覧|TOEIC Listening & Reading Test 公式データ・資料|TOEIC Program|IIBC

この事実をもって、「既に国民の97%にとって、英語を勉強する意味はない」、「今後の機械翻訳の精度向上を加味すれば、もはやすべての国民にとって英語を勉強する意味はない」と言ってしまっていいのでしょうか? 英語を勉強するのって結構な時間がかかりますから、ここはキッチリ考えておいたほうがよさそうです。

というわけで、逆転裁判を紹介してる場合じゃないと思ったんですよね。それはまたの機会にまわして、まずは「この時代に英語を勉強する意味はあるのか?」という論点をしっかり考えたいと思ったのです。

そして、この問いに答えるためには「人工知能による機械翻訳が、翻訳コンニャクになる日は来るのか?」という問いに答えなければなりません。

翻訳コンニャクが実用化されてしまえば、それまで英語の勉強に投下した時間は完全に無駄になります。英語の位置づけは「金になる、実用的なスキル」から、「物好きが勉強する教養」へと変化するでしょう。

これはちょっとシャレにならないですよね。僕なんか留学までして英語を身につけたわけですが、将来的には若い人に「いやー、無駄なことにリソース使う時代もあったんですねー」なんて煽られてしまうかもしれないわけです。これは戦争ですよ。

そんなふうになるのか、ならないのかってことです。というわけで、前置きが長くなりましたが、始めていきましょう。

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結論

さて、このエントリーは長い上に、どうしても小難しい話が入ります。手っ取り早く結論を知りたい人のために、結論を先に書いておきますね。

結論を一言でいうと、「英語を勉強する意味はこれからも残るけど、ビジネスレベルの会話をスムーズにできるレベルまで仕上げる覚悟がないなら、他のことに時間を使ったほうがいいかも」といったところですね。

要するに、英語を勉強するなら、ガッチガチにやるしかない、という感じです。

理由は以下のとおりです。

  • 人工知能は翻訳コンニャクにはならない。なぜなら、翻訳コンニャクが実現しているのは「英語からダイレクトに意味を理解できるようにすること」であり、これは人工知能だけでは実現できない技術だから
  • 翻訳という行為は「口頭コミュニケーションにおいてタイムラグが生じる」という欠点を抱えている。これは翻訳という行為そのものに付随する欠点なので、機械翻訳がどれだけ進歩しようとも、英語を習得した人間には「効率的な口頭コミュニケーションができる」という優位性が残る
  • よって、「効率的な口頭コミュニケーションが求められる場所」、つまり家庭や職場では、機械翻訳は英語学習の代わりにはならない →グローバルビジネスマンになるつもりの人は、迷うことなく英語を勉強すればいい。ただし、口頭でスムーズに意思疎通ができるレベルに到達する必要がある
  • また、各言語にはその言語でしか表現できない意味やニュアンスがあるため、完全な翻訳は原理的に不可能。そのため、相手の意図するところを正確に理解したいなら、翻訳に頼るわけにはいかない →アカデミックな研究者のように、原書が英語の本を精緻に読み込む必要がある人は、英語を勉強するべき
  • さらに、現在のアプローチでは機械翻訳の精度がどこまで高まるかは怪しい。その意味で、機械翻訳を上回る言語能力を持つ人間の価値は残るはず →最低でも、機械翻訳を上回る英語力を身につける必要がある

なお、「大学に入るために必要だ」、「英語テストの点数が良ければ就職に有利」といった社会的な条件については考慮していませんので悪しからず。

では、具体的に説明していきましょう。

英語マンと翻訳

まず押さえなければならない重要なポイントは、「翻訳はどこまで行っても、英語を習得した人間には及ばない」ということです。

とりあえず、毎回「英語を習得した人間」だと冗長なので、以降は「英語を習得した人間」を「英語マン」と呼ぶことにします。キン肉マンみたいなものだと思ってください。

英語マンは、英語を日本語に翻訳しているわけではありません。以下のスライドを見てください。

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このように、「英語マンのコミュニケーション」と「翻訳を通じたコミュニケーション」は、そのプロセスが根本的に違います

英語マンは、英語からダイレクトに意味を理解しています。これはある程度英語ができる人なら分かるはずです。いちいち英語を日本語に翻訳してから意味をとっていては、受験の長文問題ですら時間が足りません。スムーズに英語を解釈するには、翻訳している暇はないのです。

一方、翻訳は必ず「翻訳した言語を出力する」というプロセスが入ります。これは翻訳の定義そのものなので不可避です。

このプロセスの違いが何を意味しているのかは、後ほど検討します。とりあえず「プロセスが違う」ということだけ押さえてください。

翻訳コンニャクは実現可能か

ここで一旦、話を翻訳コンニャクに移しましょう。知ってのとおり、翻訳コンニャクを食べると、違う言語を使っている者同士が何不自由なく意思疎通できます。

つまり、翻訳コンニャクとは、ある人間をいきなり英語マンに変える薬だと考えられます。「翻訳」という単語が使われてはいるものの、翻訳コンニャクが実現しているのは、翻訳という行為をはるかに超える、複雑で難しいことなわけです。

こう考えると、翻訳コンニャクを実用化することは不可能であることが分かるはずです。これを実用化するためには、「他言語を解釈し、その『意味・イメージ』を脳に直接流し込むシステム」の実用化が必要です。これは具体的には以下のような技術的ハードルに分解できます。

  • 人間の脳が受け取っている「意味・イメージ」の正体を、生化学的に突き止める
  • 他者の発した言語の持つ「意味・イメージ」を解釈し、それを生化学的な物質に変換するシステムの開発
  • そのシステムを、人体に副作用のない形で脳に流し込むマイクロハードウェアの開発

これらは今のところ、全部SFの世界の話です。いかに文明の進歩スピードがすさまじいとしても、ここまで行くには相当な時間がかかるでしょう。少なく見積もっても、あと100年は無理だと思います。

というより、こんな技術が実用化される暁には、もう人間は労働を卒業していると思うんですよね。上記の技術を開発するより、太陽光電力ベースで延々と働くロボットを開発するほうが簡単でしょう。そのころには、キャリアアップのために英語を勉強するなんていう発想は時代遅れになっていると思います。

まとめると、人工知能による機械翻訳がどれだけ進歩したとしても、それが翻訳コンニャクになることはありえません。どこまで行っても、「優れた自動翻訳装置」止まりです。英語マンになりたければ、英語を勉強するしかないのです。

英語マンの強み①:口頭コミュニケーションの効率

では次に、英語マンと「優れた自動翻訳装置を持った人間」にはどんな違いがあるのかを考えてみましょう。

英語マンの機械翻訳に対する最大の優位性は、口頭コミュニケーションの効率です。

これを説明するために、まずはもう一度、先ほどのスライドを見てください。

AI-English

このように、英語マンは英語からダイレクトに意味を理解できるのに対し、翻訳を使う場合、どうしても英語を翻訳して日本語を出力するプロセスが入ります(逆も然り)。つまり、プロセスが1ステップ増えるわけです。

この差は特に、話し言葉(聞く・話す)において問題になります。翻訳を使うかぎり、「翻訳した音声を出力する」というプロセスが入り、その分コミュニュケーションの時間効率が悪くなるからです。実際、冒頭で見てもらった動画のコミュニケーション時間効率は、まったく良くありません。同じことを意味する言葉を異言語で繰り返さなければならないからです。

これはスピーチのように一人が一方的に話す場合はそこまで問題になりませんが、双方向のコミュニケーションの場合は単純に時間効率が半分になるので、致命的な問題になります。

ちなみに、翻訳した文字をメガネのような画面に表示できる時代になったとしても、効率はそこまで変わりません。英語は述語が前にくる言語で、日本語は述語が後に来る言語なので、一文を翻訳するにはその文を最後まで聞く必要があるからです。また、この場合は口頭コミュニケーションをしているにも関わらず、相手の表情に注目できないというぎこちなさが生じます。

結局、翻訳は口頭コミュニケーションの効率が悪いのです。これは翻訳という行為そのものが抱えている問題なので、機械翻訳がどれだけ進歩しようとも、この問題を克服することはできません。

言い方を換えれば、口頭コミュニケーションの効率性が求められる場所では、人工知能が英語学習の代替になるようなことはありえません

口頭コミュニケーションの効率性が求められる場所とは

ただ、「口頭コミュニケーションの効率性が求められる場所」はどこかと言うと、これがそんなに思いつきませんでした。「家庭」と「職場」くらいでしょうか。つまり、「国際結婚」と、「英語でドップリ働く職場」くらいです。「国際結婚をしたいから英語を勉強する」というのはちょっと考えにくいので、残るのは職場だけですね。

つまり、「英語でドップリ働く職場」で働くつもりがある人、つまり、グローバルビジネスマンになるつもりの人は、英語を勉強するしかないです。人工知能に頼ることはできません。

そして、英語を勉強する上では、スピーキング、特に発音を意識することをオススメします。発音がおかしくて何度も聞き直されているようでは、結局は口頭コミュニケーションの効率が悪くなってしまいますからね。せっかく英語を勉強したのに、「お前の英語は聞き取れないから、このスマホに向かって日本語でしゃべってくれ」なんて言われたら立ち直れないでしょう。早めに発音にテコ入れしておいたほうがいいです。

英語マンの強み②:翻訳不可能な意味・ニュアンスの理解

英語マンは、翻訳に対してもう1つの強みを持っています。それは、翻訳不可能な意味やニュアンスを理解できるということです。

そもそも、ある言語の表す「意味・イメージ」を別の言語に完全に翻訳することは不可能です。以下のスライドを見てください。

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このように、それぞれの言語には「その言語でしか表現できない意味・イメージ」があります(円の重ならない部分)。

日本語で有名な例だと、「いってらっしゃい」、「よろしくお願いします」、「(謝る意味以外での)すいません」などでしょうか。これらに該当する言葉は英語にはありません。

他の例として、同じ小説でも、翻訳と原書では受ける印象が大きく違ったりすることもあります。

僕が初めて読み切った英語の本は「Harry Potter and the Goblet of Fire(ハリー・ポッターと炎のゴブレット)」ですが、最初に読み切ったときの感想は「ハリー・ポッターの原書は、翻訳よりもずっとストイックな印象だな」というものでした。

英語には一人称が”I”しかないし、日本語における「じゃよ」、「ですわ」のような、語尾に変化を加える言葉もありません。日本語のハリー・ポッターはこのあたりの表現が工夫されており、かなり柔らかい印象を与えています。一方、そういうのが一切ない原書からは大人向けの小説のような印象を受けました。しかし、ハリー・ポッターが児童向けの本であることは海外でも変わらないわけで、このあたりに言語の違いの深さを見た覚えがあります。

つまり、翻訳は必ずズレを伴います。これもまた、翻訳という行為の抱えている限界です。

ということは、相手の意味するところをきちんと理解することが求められる状況では、翻訳に頼れません。英語マンになるしかないわけです。

ただ、それほど厳密なコミュニケーションが必要な状況がどれくらいあるかというと、ほとんどないと思います。首脳会談ですら通訳に頼って成立しているわけですから、ほとんどのコミュニケーションは翻訳で何とかなると言えそうです。「言語による、微妙なニュアンスの差異」が問題になることはないでしょう。

強いて言うなら、アカデミックな研究者でしょうか。誰かの文献を援用したり批判するときに、翻訳を通じて理解していては、翻訳に伴うズレによって解釈を誤ってしまう可能性があります。そのせいでズレた主張を展開してしまったとしても、まさか翻訳者のせいにするわけにはいきません。リスクを避けるためには、原書を読むしかないでしょう。

ということで、英語で書かれた文献をガッチリ読み込む必要のある人は、英語マンになるしかありません

機械翻訳の弱み:意味や文脈を理解できない

ここまでは、英語マンの「翻訳という行為」に対する優位性の話でした。つまり、どれだけ機械翻訳が進歩しようとも、ここまでに述べた英語マンの優位性はゆるぎません。

英語マンの優位性は、まだあります。機械翻訳がどこまで進歩するかは分からないのです。

これは、人間による翻訳と機械翻訳を比較すると分かりやすいでしょう。言語Aを言語Bに変換するプロセスは、人間による翻訳と機械翻訳で、以下のように違います。

人間による翻訳:言語Aの文→意味を汲み取る→言語Bの文

機械翻訳:言語Aの文→過去の膨大な翻訳データをゴニョゴニョして、「この文は、どのように翻訳されているか」を類推する→言語Bの文

「ゴニョゴニョ」の部分が曖昧ですが、ここは僕も完全に分かっているわけではないのと、結論に影響がないのでカットします(詳しく知りたい人は「ニューラルネットワーク」で調べてください)。

とにかく、ここで押さえてほしいのは、機械は言語が表現している「意味」を人間のように理解しているわけではないということです。これは間違いありません。

まあ、そりゃあそうで、機械が意味を理解できるとすると、これはもう人間の脳と何も変わりませんからね。さすがにそこまでは行ってないわけです。

で、これが何を意味しているかというと、機械翻訳の精度は頭打ちになる可能性があるということです。

定型的な短文は、正解データを蓄積することで精度を高めていくことができます。というより、ここに関してはすでに現時点で人間と同レベルと言っても問題ないでしょう。実際、冒頭で紹介したような自動翻訳機が出ています。

しかし、その意味の理解を文脈に依存せざるを得ないような形式の文は、そもそも類推に使えるようになるほど大量な正解データの蓄積がありません。となると、従来の「大量のデータによる類推」というアプローチが使えないのです。

たとえば、「“a”と”the”の使い分け」は機械翻訳にとって相当なチャレンジになると思います。日本語には冠詞がない上に、この2つのどちらが正しいかは文脈に依存するからです。同じように、「省略されている主語や目的語の埋め合わせ」も厳しいでしょう。日本語では、英語ではカットできない主語や目的語がしょっちゅう省略され、それが何なのかは文脈に依存します。

実際、僕はいくつか自分の文章をGoogle翻訳にかけてみましたが、全体としての精度は素晴らしいものの、上記の2点において細かいミスが見られました。

ちなみに、「私も”a”と”the”の使い分けが分からないんだけど」という人もいるかと思いますが、これは僕がそのうちエントリーを書くので安心してください。人間であることを証明しましょう。

まとめると、現在のアプローチでは、機械翻訳が凄腕の翻訳者と同じレベルまで到達するかは怪しいわけです。この、「機械は意味を理解できない」というのは、コンピューターを東大に合格させようとするプロジェクト(東ロボくん)がぶつかった壁でもあります。以下のリンクも読んでおくのがオススメです。

「東ロボくん」がぶつかったロングテールの壁

というわけで、「翻訳の精度」という視点でも、現時点では英語マンに軍配が上がります。

ただ、ここに関しては予断を許さないと思います。何と言っても、この分野にGoogleやMicrosoftの有する、世界最高の頭脳が投入されているわけですので。

碁だって、5年前くらいまでは「しばらく機械が人間に勝つのは不可能」なんて言われてました。それが今や、「人間の棋譜を参考にしないほうが強くなった」なんてニュースが出てしまう時代です。機械翻訳に関しても、どんなイノベーションがいつ起きるか分かりませんので、関連ニュースはフォローしておいた方がいいでしょう。

英語を勉強する意味がない人

ここまでの話をまとめると、こういうことです。機械翻訳が人間の凄腕の翻訳者と同レベルになるかは怪しい上に、たとえそうなったとしても、英語マンには「翻訳をしないで英語を直接理解できる」という強みがある

つまり、まだまだ英語を勉強する意味はあると僕は思います。ただし、条件つきですね。やるなら、ガッチガチに勉強して一流の英語マンになる必要があります。そこまでやれば、勉強しただけのリターンが引き続きあるでしょう。安心して勉強してください。

逆に言うと、中途半端なレベルで終わるなら、英語の勉強をする意味がない時代がきたとも言えそうです。

まあ、もともと中途半端な英語力が何らかのメリットを生むことはなかったわけで、昔からそうだったとも言えますが。機械翻訳の進歩によってその傾向がさらに加速するのは間違いないと思います。「TOEICが800点? 機械でも取れる点数どまりで、恥ずかしくないの?」という煽りが、もう実用可能なレベルになっているのです。

もちろん、趣味や教養として英語を勉強することを否定するつもりはありません。しかし、「投下した時間の分だけのリターンがあるか」という視点でシビアに考えるなら、自分の年齢、現在の英語力、これから英語学習に投下できる時間などを加味して、「もう英語は勉強しない」という判断が合理的であるケースも多々あるはずです。今ダラダラと英語を勉強してしまっている人は、一度しっかり考えてみるのもいいかもしれません。

要するに、やるなら覚悟を決めて徹底的にやれ、ということでしょうか。月並みな結論ですけど、そういうことかなと思います。機械翻訳研究の第一人者である中澤敏明さんの以下の言葉と、「現在の機械翻訳で、TOEIC800点。まだレベルは上がる」という事実を胸に刻むといいんじゃないでしょうか。

逆説的ですが、高精度な機械翻訳の誤りに気づくためには、人間もその機械翻訳と同等以上の翻訳能力が必要になります。

機械翻訳の未来:気鋭の研究者が語る、AIの言語感覚スパイラル | FUZE

まあ、何というか、ものすごい時代になってきましたね。機械ができるようになることを見定めた上で、人間としての自分のポジショニングを考えなければならない。そこを見誤ると、数年から数十年におよぶ自分の苦労がいきなりゴミ同然、なんてこともあるわけです。このエントリーを書いたことで、改めてそのことを強く意識できました。

あとは、こういう時代であることを「しんどい」と思うんじゃなくて、「面白い」と思う人でありたいですよね。僕は面白いと思います。

ではでは、今回はここまでです。僕の中では「英語を勉強する意味はある」ということでスッキリしたので、そのうち逆転裁判の紹介をしたいと思います。

(2017年11月30日追記)逆転裁判について書きました。