さよならドラゴンクエスト - ドラクエ11のレビュー
2017-12-30

2017年9月末に、こんなエントリーを書きました。
ドラクエ11のレビューのレビューと、高齢化社会におけるエンタメ産業

気がつけば、今日で2017年も終わろうとしています。僕はドラクエ11をクリアしました。睡眠不足で死ぬかと思いました。
では早速、レビューを書いていきたいと思います。途中からネタバレしますけど、ネタバレの前後でスペースを空けておきますので、ネタバレが怖い人も安心して読んで下さい。
結論
まず結論です。
ドラクエ11最高や! スクウェア・エニックスありがとう!
いや、これはもう神ゲー以外の何でもないでしょう。100点満点で、2,000点くらいありました。そりゃあ世の中のドラクエおじさんが絶賛するわ。
この作品のサブタイトルは「過ぎ去りし時を求めて」ですが、エンディングが終わるその瞬間、本当に僕たちの過ぎ去った時が戻ってきます。発売日に並んで、夢中になってプレイして、教室で友達と情報交換したあの日々が、20年以上の時を経て、僕たちの心に還ってくるのです。
いいおっさんがこんな文章を書いて、わりと恥ずかしいわけですが、本当ですよ。ドラクエにしか、堀井雄二さんにしかできない、魔法のエンディングです。この感動は何者にも代えがたい。本当にすごいゲームだと思いました。
どんな人がプレイするべきか
ただ、どんな人でもオススメできるかというと、そんなことは全くないと思います。ドラクエ11は、完全にドラクエおじさんのためのゲームです。僕がこう考える理由はネタバレ抜きには説明できないので後に回しますが、とにかくそうです。
このゲームがドンピシャなのは、以下の条件を満たす人でしょう。
- ドラクエ1・2・3を青春時代にプレイしている(2はマストではない)
- 今でもドラクエが好き
- 最近はゲームからは引退気味で、最新のゲームには触っていない
こういう人にとっては、もやはこのゲームは「プレイした方がいいゲーム」というより、「プレイしなければならないゲーム」と呼んでもいいかもしれません。
この作品は堀井雄二さんからの「別れの挨拶」だと僕は解釈しました。「もう、こういうドラクエはおしまいだよ。今まで遊んでくれてありがとう」という、堀井さんからドラクエおじさんへの、最後のメッセージなのです。あなたの青春の一部にドラクエがあるなら、このメッセージを聞かないわけにはいきません。
たとえて言うなら、「就職活動を機に自然消滅した、大好きだった彼女が、キッパリ関係を終わらせるために自分の前に現れた」って感じですかね。いや、僕はこんな経験はないんですけど、本当にこんな感じなんですよ。
なんかこう、僕みたいなドラクエおじさんとドラクエの関係って、曖昧に終わってたんですよね。就職してゲームから遠ざかるタイミングで出た最新作がドラクエ9で、「ドラクエといえば据え置き機の最新機能を駆使したゲーム」という意識からこれを敬遠。「10で復帰するか」と思っていたら、まさかのオンラインゲーム。さすがにそんな暇はないということで、これもスルー。
そんなこんなで、ドラクエを嫌いになる出来事があったわけでもないのに、いつの間にかドラクエから遠ざかっていました。こんな人、多いんじゃないでしょうか。
これはただの想像ですけど、堀井さんはそんなドラクエおじさんがたくさんいることを分かってて、どこかでケリをつけたかったんじゃないでしょうか。以下のリンクで堀井さんは「ドラクエ11は新しいスタートだ」って言っているんですが、プレイした感想としては、「新しいスタートをきるために、これまでのドラクエにケリをつけた」としか思えませんでした。
まあ、この辺でやめておきましょう。あとはプレイして、感じてください。
あなたがドラクエおじさんなら、あのエンディングはダイヤモンドを超える価値があります。お金がかかろうが、時間がかかろうが、見る価値がある。保証しますよ。
最後に、一つだけ注意点を書いておきます。
とにかく、さっさとストーリーを進めるべきです。
個人的には、このゲームの価値の大半はストーリーから生まれていると思います。それも、ゲーム後半のストーリーです。前半はお使いの繰り返しのような部分があり、少しウンザリしました。
このゲームは完全にクリアするのに最低でも50時間はかかるので、前半で下手に時間をかけると、そこで心が折れるリスクがあります。仕事が忙しいドラクエおじさんなら尚更でしょう。
これはもったいないと思うので、とにかくストーリーを前に進めましょう。取り返しのつかない要素はほぼありません(「ほぼ」が気になる潔癖症の方は、検索してください)。
というわけで、とにかくさっさとクリアして、それでもやり足りないならクエストなどを消化する、というのがオススメのアプローチですね。
では、ここから下にはネタバレありの感想を書きますので、ご注意をば。
なぜドラクエ11はドラクエおじさんのためのゲームなのか
まず、先ほど述べた「ドラクエ11は、完全にドラクエおじさんのためのゲームです」という主張の根拠を説明しておきます。
このゲームは、通常では考えられないレベルでメタ演出を多用しています。これが、僕がこのゲームはドラクエおじさんのためのゲームであると考える理由です。
「メタ演出」とは、「他の作品をプレイしていないと理解できない演出」のことです。ドラクエ11の場合、これまでのドラクエをプレイしていないと理解できない演出のことですね。このような演出を専門用語で何と呼ぶのか分からないので、とりあえず「メタ演出」と呼ぶことにさせてください。
僕が覚えている範囲だけで、ドラクエ11には以下のメタ演出がありました。
- 武闘大会の音楽(ドラクエ4)
- 街を出て馬に乗ったところでドラクエ3のフィールド曲(ドラクエ3)
- ケトス覚醒シーン(ドラクエ3)
- ニズゼルファのセリフ、音楽、闇の衣(ドラクエ3)
- エンディング(ドラクエ1と3)
最初の2つが前半で、残り3つが後半です。前半の2つは音楽なので、知っている人がニヤッとするだけなんですけど、後半の3つはストーリーのド真ん中なんですよね。後半のストーリーに感動できるかどうかは、ドラクエ1-3をプレイしているかにかかっています。
実際、ドラクエ3をやった人で、ケトス覚醒シーンで感動しなかった人はいないでしょう。「この ふえで かなでる音色は ひとつ」のところで、「まさか……あれがくるのか……」ってなるわけです。それで『おおぞらをとぶ』が流れれば、もう泣くしかない。
エンディングも同じです。ベッドで眠るツンツン頭の男が映ったところで「まさか……いやまさか……こんな終わり方がありうるのか……」ってなるわけです。それで、「わたしの かわいい ぼうや」とくる。
ここで、ドラクエおじさんは絶頂をむかえます。
この瞬間、僕の肉体はゲームをしているオタクのおじさんですが、僕の精神はカセットをファミコンのカートリッジに挿してウキウキしていた少年時代に舞い戻りました。過ぎ去った時が戻ってきたのです。これはもう、「感動」っていう言葉では足りないレベルの感動でした。実際、泣くっていうより、呆然としちゃいましたね。
ドラクエ3が発売されたのは1988年です。2017年、約30年の時をまたいで、堀井さんは僕たちの時を巻き戻した。これはもう、ゲーム史上最高のメタ演出と言っていい。金輪際、これを超えるメタ演出は生まれないはずです。ドラクエ3ほど、みんなが熱狂してプレイしたゲームが存在しないですからね。絶対に不可能です。
というわけで、一人のドラクエおじさんとして、これほどの感動を与えてくれたゲームに感謝しかありません。
やっぱり反則
でも、冷静に考えると、メタ演出って反則だと思うんですよね。メタ演出を理解できない人は置いてけぼりになるわけなので。単品のゲームとして考えたときに、メタ演出を多用するべきではないと思います。
もちろん、堀井さんもそんなことは分かっていると思います。にも関わらず、ドラクエ11ではゲームの後半で、これでもかというくらいメタ演出を使ってきました。
つまり、堀井さんはメタ演出を反則だと分かった上で、それを多用したんだと思います。
そんなことをした理由は、「これでドラクエは終わりだから」なんじゃないか、というのが僕の考えです。
実際、このゲームが『ドラゴンクエスト11』なのは前半のエンディングまでで、後半は『ファイナルドラゴンクエスト』と呼ぶべきゲームだなって思いました。
それが最も顕著なのがエンディングです。主人公の他にはセーニャとベロニカしか出てこないですから。パーティーにいたメインキャラクターが出てこないエンディングなんて、普通のRPGではありえないです。しかも、最後に聖竜が「私が悪に染まったら……」みたいなことを話すあたりからは、ドラクエ1-3をやっていない人は完全についていけないでしょう。
こんなメタ演出は「これが最後」と決めていないと無理だと思うんですよね。つまり、これでドラクエは終わりだから、ドラクエおじさんに感謝の意味をこめてメタ演出を多用してくれたのではないか。エンディングで過去作が順番に出るのも、そういう意味なのでしょう。
もちろん、『ドラゴンクエスト』というタイトルのRPGはこれからも出るでしょう。というか、ビジネス的にこれだけのビッグタイトルを打ち切る理由がないです。ただ、少なくともドラクエ1から続いてきた「ドラゴンクエスト的なもの(ゲームデザインとか)」は、一旦これで打ち切りなんじゃないかと思います。
実際、その方がいいと思うんですよね。ドラクエ11をプレイして、ドラクエというゲームの特徴は、現代のゲームの文脈にはそぐわないと思いました。
「勇者」の限界
まず、特に強く感じたのは、「ドラクエの勇者 = 話さない、無個性のナイスガイ」という仕様はもう限界なんじゃないかということです。
この仕様は、容量の少ない、2Dゲームの時代には機能していました。各キャラクターの顔は見えないし、キャラクターボイスをつけることもできなかったからです。つまり、ゲーム全体としてプレイヤーの想像の余地が大きいので、「話さない、無個性の主人公」に違和感はなかったし、プレイヤーはそこに自分を投影することができました。
しかし、今は大容量3Dゲームの時代です。キャラクターの皺の一本まで精細に描かれ、そのキャラクターがしゃべるのが当たり前です。こうなってしまうと、もう主人公は自己を投影する対象ではなく、他のキャラクターと同じ、1つのキャラクターです。「こいつは話さないし感情表現もしないから、自己を投影しろ」と言われても無理なんですよね。だいたい僕、長髪のイケメンじゃないですし。
実際、プレイ中、何度か勇者がサイコパスに見えました。特に、過去に戻って勇者の剣を手に入れたあとで、王様に不用意に剣を触らせようとしたり、そのあとベッドでグッスリ眠っているのは完全に意味不明でした。その他、とにかく勇者だけ感情表現をしないので、違和感がすごいです。
つまり、3Dでキャラクターの造形を具体的に描きつつ、その内面を具体的に描かないというのは無理があると思います。そして、これからもゲームは進化していく以上、キャラクターの造形を具体的に描かないという選択肢はありえないでしょう。となると、内面も具体的に描くしかないと思うんですよね。もしくは、FPSみたいに主人公だけ見えないようにしてもいいかもしれないですけど、そんなRPG無理でしょうし。
さらに言うと、無個性のナイスガイのキャラクターデザインが、もう残っていないと思います。これは鳥山さん自身も指摘していることです。
堀井:僕は一番難しいのは主人公だと思うんですよ。脇役は個性があってキャラが決まっているから。
鳥山:僕の中で"いいヤツ"のバリエーションは、もう『DQIII』くらいで尽きていますね。
(出典:導かれし勇者たちの冒険記 | ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて 公式サイト | SQUARE ENIX)
実際、勇者のデザインはドラクエ7あたりから相当苦しくなっていると思います。子供、バンダナ、天使ときて、ついに長髪ですからね。
もう主人公はプレイヤーにキャラクターデザインさせればいい気がしますが、これはこれで世界観が構築しにくくなるデメリットもありそうなので、難しいんですかね。とにかく、現行のやり方でこれ以上の高画質化は苦しいんじゃないかと思いました。
「町システム」の限界
次に、「町システム」も厳しいと思いました。
「町システム」っていうのは僕が勝手につけた名前ですけど、以下のようなゲームデザインのことです。
- 新しい町が見つかる
- 町を探索するとストーリーが進み、解決するべき問題(アイテム入手や、ボスの退治)が与えられる
- 問題を解決するために、周辺でレベルを上げて、装備を整える
- 問題を解決したら、次の町へ行けるようになる
ドラクエって、必ずこのデザインに従って作られているんですよね。 これ、ドラクエ11をやっているときに初めてハッキリ意識しました。
なんで意識することになったかっていうと、これが面倒だったんですよね。
まず、それぞれの町が大きすぎて移動が大変です。さらに、いちいち地図を見ないと武器屋や道具屋にもいけません。あと、部屋が具体的に描かれているので、その中のタンスを空けてアイテムを入手することが悪い意味でリアルになりすぎています。「シュールな面白さ」を超えてしまっていると感じました。
これも、2D時代のゲームデザインを3Dゲームに転用していることの弊害なんですよね。
3Dの場合、どうしても町は大きくなり、その構造をプレイヤーが理解するのは大変になります。それ自体は仕方ないのですが、だとすると、3Dゲームでは町の数を減らさないとマズいわけです。町というのは拠点であって、ゲームの面白さを生み出す中心地ではないので。あまり町の構造の理解にリソースを使わされると、ダルくなっちゃうんですよね。実際、最近の3Dゲームは、町(拠点)は無いか、あっても1つなことが多いと思います。
ドラクエはどこに行くのか
このような「2D時代のゲームデザインを、高性能化する3Dゲームに引き継ぐことで生じる問題」については、少なくともドラクエ8を開発した時点で、堀井さんを始めとする開発チームは認識していたんじゃないかと思います。
それが、ドラクエ9がDSで出た理由なんじゃないですかね。当時は「DSの普及台数が多い」ということが主な理由として報道されていたと記憶していますが、違うんじゃないかな。単に、「ドラクエってゲームは、3D化、高画質化に沿っていくと行き詰まる」という判断だったんじゃないかと。いや、全部ただの妄想ですけどね。
で、その結果として出したドラクエ9がどうだったかというと、「販売本数は伸びたが、評価は荒れた」という記憶があります。
僕はドラクエ9をプレイしていないので評価は控えますが、少なくともドラクエ11でPS4に戻ってきたことを考えると、「ドラクエ9の方向性は正しかった」という判断にはなっていない印象を受けます。ただ、ドラクエ11は3DSでも同時発売しているので、何とも言えませんけどね。
問題は次(ドラクエ12)だと思うんですよね。次をどうするか。これはすごく難しい問題だと思います。
まず、前回のエントリーで述べたとおり、この「ドラクエ」というシリーズには「変わるな」という強烈な圧力がかかっています。ドラクエ11が成功したことからも、この圧力には応えていくのがビジネス的には正しいということになるでしょう。
一方で、ゲームデザインを維持する場合、ドラクエ12がドラクエ11を超える可能性はゼロだと思います。もう今回のようなメタ演出は使えないわけなので。いや、ネタはあるかもしれませんが、二番煎じ感が否めないし、どうやっても今回のものよりは格落ち感が出るでしょう。ドラクエ11を超えたいなら、次はゲームデザインをいじるしかないと思います。
つまり、大きな方向性としては、①ゲームデザインを維持して、ゲーム界における水戸黄門のような存在になる、②ゲームデザインを変えて、これまでとは別のドラクエになる、のどちらかなんじゃないですかね。
個人的には、堀井さんは②に進むつもりだという印象を受けました。ファンとしても、そうあってほしいと思います。
僕はもう、これまでのドラクエには満足です。ドラクエ11でお腹いっぱいになりました。本当にありがとうございました。ここで一旦サヨナラをして、次は新しいドラクエを見せてほしいです。そして、堀井さんがドラクエ11で魅せた圧倒的なクリエイティビティがあれば、それは十分に可能だと信じています。3年後なのか5年後なのか分かりませんけど、ドラクエ12が楽しみです。
ということで、とりあえず、さよならドラゴンクエスト。青春の一ページをありがとう。新しいドラゴンクエストに会えるのを楽しみにしています!